Tatehitoの日記

ソフトウェアエンジニアです。いろいろ書きます。

自己啓発本を読み続けた結果、僕は自分を失った

僕は一時期、自己啓発本を読み終えた後の爽快な気分にハマってしまい、狂ったように自己啓発本を読み漁っていた。

自己啓発本には著者の成功体験をもとに読者の悩みを解決するノウハウがビッシリだから、「よっしゃ明日からこれで勝つる!」とか「悩んでいた答えはこれだ!」とか、読むだけで1UPした「気分」になる。「気分」と表現したのは文字通り、ただ読むだけではその気になるだけだから。最近になってようやく、本当の意味で意識改革をしたり、スキルアップしたりするにはただ読むだけではダメだということに気が付いた。今思えばそんなの当たり前のことだけど。

自己啓発本に依存するまで

学生のころから自己啓発本が好きではあったのだけど、仕事をするようになって悩みが増えたことでより一層読むようになった。

例えば打合せでうまく説明ができなかったときは「論理的な説明方法」とか「説明 下手」といったキーワードでググり、

  • 同じ悩みを抱えた人のYahoo知恵袋の質問だったり、ブログの記事だったりがヒット
  • その記事で自己啓発本が紹介されている
  • その本のAmazonであらすじを読んでみると「この本なら自分を変えてくれるかもしれない!」という何とも言えない高揚感に包まれる
  • いつの間にか購入ボタンをポチっている

ということを会社帰りにしてた。仕事がうまくいかなければいかないほど、会社帰りの「お悩み解決ネットサーフィン」がますます習慣になってしまい、多いときでは一度に1万円ほどの自己啓発本を購入。一気に読み終え、「これで勝つる!」と枕に口を当てて叫ぶ毎日。もはや仕事をする上で自己啓発本はなくてはならないものになり、僕にとっての精神安定剤となっていったが、読んでも読んでも仕事の悩みは一向に解決しなかった。

そして意識だけが高くなっていき、まだ何もしていないのに自分が「スゴい人間」に変わったように感じていた。本の受け売りで口だけが達者になり、周りからは「コイツはできるやつ」なんていわれたりもする。これを続けていたら、何か意見を求められたとき、本に書いてあったことをさも自分の意見のように答えるようになっていて、自分の意見が本の意見にすり替わるようになっていった。このころの僕は、自覚できるほど自分の意見がなくなっていた。食べたいものを答えるときでさえ、自分以外の何かの意見を聞かなければ答えられないようなそんな状態。

自己啓発本の魔力からの脱出

ひたすら読んでいたら「自己啓発本はだいだい同じこと書いてる」「何冊読もうが自分が変わっていない」ということに気づき始め、これが脱出の出発点になった。どうせ同じこと書いてあるなら読む意味なくない?と。それから悩んだらすぐにネット検索してしまっていたのをやめて、代わりに自分の考えを紙やiPhoneに書きまくるようにした。検索したくなってスマホを取り出したら、ブラウザを開く代わりにメモ帳を開くように。すると徐々に自分の意見を持てるようになってきた。

本を読むこと自体は悪いことじゃない。問題はどう読むか。自分がどういう意見を持ち、どう自分の人生に適用させるか自分で決めること。

自己啓発本に限ったことではないが、本の内容は著者の主張に過ぎない。書いてあることにウソはない。でも、それが読者全員にとって有益かというと、必ずしもそうではない。著者の主張を、100%全て同じ感覚で読者が受取ることはありえず、読者によって違う。だから、読む前に自分がどういう考えを持っている人間かを理解している必要がある。そして本を読んだら、内容を自分なりに解釈して腹落ちさせる過程が不可欠だと今では考えている。